本棚

本を買った。

 

本棚はその人である

とはよく言ったもので、本棚を見ればどんな人か想像はつく。

 

自分の本棚を見てみる。

 

開いた跡のない綺麗な数学物理化学の教科書。

エッセイ、詩集、数冊の小説。

雑多な書類たち。

 

なるほど、自分自身だ。

 

あと、聖書も並んでる。

 

開いたことのなさそうな本は、思うに

他人にどう見えてほしいかを表している。

 

うちの本棚でいえば宇宙物理学と

遺伝子の研究についての本と

料理の本がそれだろう。

 

博識で、料理好きな人間を演じたいのだろう。

 

こういう本にはたいていブックカバーがない。

見せたいから。

 

その人が本当に大事にしている本には

ブックカバーがかかっていたりする。

自分さえ読めればいいし、大事だから汚したくはない。

 

「サラダ記念日」

にはブックカバーをしている。

僕の言葉が好きになるきっかけの本だからだ。

化学の教科書なんかよりもはるかに大事にしている。

 

つまりこの特性上、

その人のことを知るにはブックカバーがかかってる

本を見てみるとよいのではないだろうか、

もちろんきれい好きの人の場合も多いし、

見るときは許可を取らねばならないが。

 

こうも言えるだろう。

ブックカバー付きの本を貸してくれる関係は、

かなりお互いを信頼しているとも。

もちろんただのお人よしの場合の多いが。

 

 

 

ほら、完璧に本棚が自分自身だ。

明日僕と本棚がそっくり入れ替わっても差し支えないほどに。

 

今日ちょっと角張ってるね、

くらいの違和感しかないだろう。

角ばった自分を想像して、にやける。

 

そいつは数学や物理や化学のことを

知っている風で全然知らないし、

料理もほとんど作れないだろう。

でもきっと詩についてなら知識はないにせよ

生き生き話すだろうし、

お気に入りの小説家のおすすめだって

いくつかはある。

少なくともパッと言われて書くことのできる

芳香族化合物の反応式よりは多くあるはずだ。

 

 

 

 

 

みなさんも自分の本棚を見てみてほしい。

そこにきっと自分がいるだろうから。

 

コーヒー、ブラックで

ブラックコーヒー。

大人なな響きだ。

 

 

「コーヒー、ブラックで」

初めてそれを言った日、成人式以上に大人の階段を

登った気分だった。

階段二段飛ばしだ。

 

大学に入って、最初に気になった子とカフェに行った時だ。

僕が二段飛ばしをして、踏み外しかけたのは。

いや、わかっていた。

でもその子が先に

「コーヒー、ブラックしか飲まないんだ」

なんていうから。

 

選択肢がなかったんだ。

 

出てきたカフェのオリジナルコーヒーは

深煎りのブラック中のブラックだった。

 

苦い。苦しい。

 

だれなんだ、最初にコーヒー飲んだやつ。

豆煎って粉にしてお湯で抽出した

こんな苦い液体よく飲もうと思うよな。

意味わかんないよ、まったく。

 

そういや、こんにゃく作ったやつもすごいよな。

あの工程、どうやったら思いつくんだ?

あく抜きしないと食べらんないのに。

よっぽどコンニャクイモ食ってやりたかったんだろうな。

 

あとキノコとか。

見た目きもいうえに生で食えんし。

そのうえ高確率で毒があったりする。

食える種類発見するまでに何人おなか壊したんだろう。

 

 

なんて考えだして、もう会話なんて一つも入ってこなかった。

 

散々なデートの中で唯一覚えているのが、

相手の子が元カレといったカフェのコーヒーが

すごくおいしくて忘れられない、

という話。

 

 

やはりコーヒーは苦い。

スタバモンキー

”猿真似”の意味をご存じだろうか。

 

「よく考えずにむやみに人のまねをしたり、本質をを理解せずにうわべをまねること」

とある。

サルに失礼だ、と思いつつ

やはりやってしまいがちなのではなかろうかと思う。

 

 

今自分の周りにいる仕事ができる、とされる人は

こぞって、「スタバで作業すると仕事がはかどる」という。

 

なるほどそうなのか、と思いスタバにパソコンを持って行く。

 

何とかフラペチーノを頼み、席に着く。

パソコンを開く。

 

そわそわして仕方ない。

 

横の人、すっごい勢いでタイピングしてる。

 

あれ、俺文字打つの遅くない?

 

遅い気がする。

嫌、確実に遅い。

 

こいつ、仕事できないな、とか

思われてないかな?

 

あ、今ちらっと見られた気がする。

やっぱり遅いか。

あなたは気になるか。

 

うーん、そわそわする。

 

これのどこが集中できる環境なんだ?

 

甘ったるいドリンク片手に人の目を気にしながら

仕事するくらいなら家でよくね?

 

これ俺だけなのか?

 

このスタバでパソコン開いてる人みんな

俺みたいな感覚にならないのか?

 

こんな自分がサルにでもなったような感覚。

 

 

 

猿真似をしている人は自らがサルであったと

感じた瞬間に人に戻る。

 

僕はあれ以来スタバに行けない人間になった。

 

 

 

 

 

 

方向オンチの叫び

きっと私は死ぬまで道を間違っている。

 

 

よく道に迷うときに思うことだ。

 

私は俗にいう”方向オンチ”だ。

 

地図を見ようがグーグル大先生の指示を聞こうが

大体一人で歩くとあらん方向へ進み、

気づいた時には意味の分からぬ土地に立っている。

 

 

この難病に気が付いたのは15歳の時、

 

部活の試合会場まで自転車で向かったはいいが

家から目的地を結んだ線より右に35度ほどずれた方へと

進み続け、挙句近所のばあさんに

目的地の場所を聞いて辿り着いたころには試合が終わっていた

 

という事件だった。

 

 

なぜわからないのに進み続けるのか、と

聞かれたことがあった。

 

大学生になり付き合っていた彼女と

ラーメン屋に寄った帰りのことだ。

 

私は建物に入って用を済ませて出ると、

目指す方向と正反対に進み始めてしまうほど

極度のオンチなのだ。

どオンチだ。

 

よって、彼女と、

ニボシ出汁の効いたつけ麺を食べた後、

店から出た私は家と反対方向に進み始めた。

 

50メートルほど進み一人であることに気が付いた。

 

振り返ると彼女は店の前で怪訝な顔をして僕を見ていた。

 

 

何ごともないようにuターンして横まで来た僕に

「結構本気で引くくらい方向オンチやね、わからんのに何でそっちに進んだん?」

と、心底不思議そうに彼女は聞いた。

 

「確かに、なんでなんやろな」

 

と答えながら、心の中で思った。

 

分かんなかったら進んでないよ。

こっちだという確信があって進んだんだ。

ただこの方向オンチという病は、その判断を惑わせてしまうんだ。

 

 

この時、はたと思った。

 

仕事でミスをしたとき、上司に

「わからなかったなら間違う前に言ってよ」

 

といわれたことがある。

 

いや、わからなかったら聞いてたさ。

自分でこうだと確信してやった結果、

間違ってただけなんだ。

 

もちろん間違ったことに関しては反省しているし

人のせいにするつもりもない。

ただ、分からないことを聞かないことをとがめずに、

なぜ間違った判断に至ったかを一緒に考えてくれよ。

 

 

でも大体の人は間違った方向に進んだという

結果を嫌がる。

 

方向オンチに言わせてもらえばナンセンスだ。

 

実際に道に迷うような奴は、

確信をもって進んでることがほとんどなのだから。

 

 

などと、今日も見知らぬ土地で一人思う。